決して愚痴じゃない! 平岡裕太郎コラム『歌舞伎への提言』第五話

私としたことが大変な失策を犯したようだ。前回の原稿を中村氏に読まれたらしく、「真面目に書かないんなら、辞めても結構です」と言われた。

元来、温厚な私ではあるが、真面目な提言がほしければ真面目な人に頼む、という基本的な人選を間違えたのは彼なのに、私のせいにされても…。立派な提言ができるぐらいなら、原稿の依頼が殺到しているって。

おっと、ここは愚痴のコーナーではない。しかし、ここ数年の歌舞伎界の相次ぐ病気や訃報には愚痴の一つもこぼしたくなるではないか。人間の生死は「天命」とは言え、市川團十郎、中村勘三郎、坂東三津五郎を持って行かれ、中村福助が病中とあっては「てんめぃ、この野郎」とも言いたくなる。

その一方で、歌舞伎400年の歴史の中で、もっと大変な時期もあったのだろうな、と想像もするのだ。細かなことはわからないが、戦時中も終戦直後も、役者はいても歌舞伎の興行など打てる状況でもなかったし、戦争が終わっても、「この芝居は仇討物で、日本人の報復心を煽るからダメ」とか「心中物は堕落するからダメ」と、占領下で上演する演目を規制された。落語も、同様の目に遭っている。

そうした中で、現状を嘆くばかりでは、亡くなった役者も成仏できないだろうに。今、一番の問題は、ベテラン勢と「花形」と言われる若手の間をつなぐ50代の役者がゴソッと抜けてしまったことだ。大ベテランの芸は、真似はできてもすぐには吸収できない。その間に、ベテランと若手の間を繋ぎ、歌舞伎界を引っ張る年代が激減した、ということだ。

他のジャンルはともかく、歌舞伎役者や文楽、能狂言などの古典芸能は、幼少時からその芸能に馴染んで稽古を重ねていなければ、物にならない。中には30年以上もやっていても物になっていない役者も大勢いるだろうに。生産性から言ったらこんなに効率が悪いものはないが、だからこそ貴重なのだ、とも言えるのではないかしらん。

そう言えば、他のジャンルの役者一家で、相次いで親兄弟が亡くなったことがあった。嘆き悲しんでいた私に、その家族の役者が言った。「これって、きっと死んだ親父や兄貴が、息子たちに早く一人前の役者になれ、っていう励ましなんじゃないかな」と。家族としてはそう考えるより他に、気持ちの持って行き場がなかったのだろう。

後は、残された我々ファンの気持ちだ。遺児たちを温かく見守り、応援するのが一番いい。彼らが、我々の声を真剣に受け止めて、どう歌舞伎と向き合うかなのだろう。元を正せば、歌舞伎に限らず舞台芸術は、幕が降りた瞬間に「消える」ことに価値があるとも言える。映画のように、寸分違わぬ状態で何度も上映することはできない。現代の平均寿命から考えれば早すぎる死を悼みながらも、その舞台を想い出として、遺児たちを応援すればいいのだ。

しかし、いつの時代も、芝居の世界の見巧者と呼ばれる人々は、口を揃えて「先代はああじゃなかった」だの「あそこが違う」だのと言う。そう言うのが「通の証拠だもんね」とでも言わんばかりだ。誰だって、想い出は美化したがるものだ。私だって、若いころは門前市をなすほどにモテたものだ。それが、今はどういうことだ。催促と言えば、夕飯の買い出しと洗濯ぐらいだ。あっ、また愚痴になってしまった。

第6回へつづく…!?


【連載 第一話】平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その1
【連載 第二話】平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その2
【連載 第三話】平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その3
【連載 第四話】平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その4


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