ついに提言するのかしないのか!? 平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』第四話

満腹になり、眠気も吹っ飛んだ私は、ようやく心静かに芝居見物ができる状態になった。家を出てから早くも4時間が経過している。芝居見物も容易なことではない。

『仮名手本忠臣蔵 六段目』、通称「勘平切腹」の場面である。通ぶった講釈は中村氏に任せるが、私に言わせれば、江戸時代で最もそそっかしい男の物語だ。女房の父親が殺されたのを、自分が殺したのだと勘違いし、状況を確認せずに切腹をするという現代では考えも付かない行動に出る。しかし、こういう粗忽者が討ち入りに行くと、うっかり身方を斬り付けたりするので、作者はあらかじめ、ここで殺してしまったに違いない。

そんな想いで『六段目』を楽しんだが、二つ驚いたことがある。まず、一幕で約1時間40分もかかっていたことだ。通常、一本の芝居で終わり、という公演なら当たり前の長さだが、まだ他の芝居もあるのにこれだけで1時間40分はいかにも長い。そう細かなことには詳しくない私でも、もう少しスピードアップをしても、充分に鑑賞に耐えうるだろうに、と考えた。おぉ、ようやくまともな提言らしくなった。

伴奏ともナレーションとも言える義太夫の言葉などは、今の観客には難解な部分や、江戸時代だから受け入れられた部分もある。しかし、世の中が「せっかち」になっている今、私の鼻ちょうちんが二度も破裂するほどの長さではなくとも良いだろう。

もう一つ。よく、「昔の人は精神がしっかりしていた」と言うが、主人公の早野勘平は恐ろしいほど強い。勘違いをして腹に刀を突き立て、それから約30分にわたって、延々と事情を喋るのだ。タンスの角に足の小指をぶつけただけで、激痛に耐えかね二日は寝込む私には信じられない。しかも、話が理路整然としている。ふだんから、「酔ってるんですか?」と言われる私とは大違いだ。

その上、勘平の家族や関係者一同は、その30分の長話をじっと聴いているではないか。誰も、医者を迎えに行こう、とか、手遅れだから坊主の方がいいんじゃないか、という発想がない。それどころか、偉そうな侍は、同情は示すものの、最後に血判を押させたりするのだ。この人たち、何を考えてるんだ。

歌舞伎の登場人物の「精神性」から勉強を始めないと、これはなかなか手強いぞ、と真面目な私は考えた。また、これは恐らくほとんどの観客は気付いていないだろうが、この『六段目』の前の『五段目』の場面で、勘平の義父を殺したのは他の悪党であり、勘平は猪を仕留めただけに過ぎない、という「勘違いの悲劇」の真相を私は知っている。知らないで大騒ぎをしているのは舞台にいる『六段目』の登場人物だけだ。

ここで私は閃いた。もしかすると、これは江戸時代初の『不条理劇』なのではないか。これは、下手をすると歌舞伎界を揺るがす大発見である。長い『六段目』の幕が閉じた後、私は意気揚々と新発見を中村氏に語った。中村氏はうんざりした顔で一言、「それが芝居の嘘、ってやつでしょう。平岡さん、あんまり変なこと言うと、切符代、返してもらうよ」と私を軽蔑の眼差しで見るではないか。

前回述べたが、私は誠実で嘘は吐かない。中村なんか嫌いだ。何が演劇評論家だ、自分でやるわけでもないのに。

第5回へつづく…!?


【連載 第一話】平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その1

【連載 第二話】平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その2

【連載 第三話】平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その3


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者: