先月、ショーの本場・ラスベガスで『鯉つかみ』を演じて、パフォーミング・アーツとしての歌舞伎を披露して来た市川染五郎。市川海老蔵、片岡愛之助らと共に、「花形御三家」とでも名づけたいほどの活躍ぶりだ。
今年の春、ある雑誌で染五郎と久しぶりに対談をした。その時に、「今の歌舞伎役者で『勧進帳』の弁慶と『鏡獅子』の両方を演じることができるのは、あなただけでしょう」と言った。この事が言いたくて仕方がなかったのだ。取りも直さず、これが市川染五郎という役者の本質をあらわしている、と私は考えたからだ。
『勧進帳』の弁慶は、曽祖父・七代目松本幸四郎以来の当たり役で、以降現・染五郎まで四代で3,000回以上は演じているだろう。昨年、染五郎自身も念願叶って父・幸四郎の富樫、叔父・中村吉右衛門の義経で「弁慶」を初役で演じた。その初日を観たが、劇場自体が異様な緊張感に包まれていた記憶がある。彼自身、「想い出づくりにしたくはない」と、再演への意気込みも満々で、遠くない日に再び観たいものだ。
一方、女形舞踊の大曲として知られる『鏡獅子』を演じられるのは大したものだ。この舞踊は、後半、獅子の精になって勇壮な踊りを見せる前、御殿のお小姓・弥生の可憐な踊りが難しいと言われている。ここを見事に踊りおおせることのできる役者はそういるものではない。
『鏡獅子』の小姓・弥生は現代で言えば少女だ。一方、『勧進帳』の弁慶は勇壮な立役で30代の男盛りの役で、いわば「対極」にあるとも言える。これだけの振れ幅の広さが、市川染五郎という役者なのだ。
これは、歌舞伎だけに限らず、14歳での『ハムレット』の上演、劇団☆新感線との共演など、歌舞伎以外の演劇でも発揮されている。父・幸四郎が先輩として同じ道をたどって来たが、私はこれを簡単に「高麗屋の血」という言葉で片付けたくはない。むしろ、歌舞伎以外の芝居で「何か」を吸収し、そこで芸の幅を広げて歌舞伎に持ち帰るのが役者の仕事だ、と考えているからだ。
事実、ここ半世紀以上、映画やテレビドラマなど、歌舞伎以外の仕事をせずに、歌舞伎だけを演じ通した役者を私はたった一人しか知らない。そういう意味で、染五郎は歌舞伎と他の演劇とのバランスを取りながら、歌舞伎の明日を考えている役者の一人だ。
彼の強みは、先に述べたように振幅の広いことだが、それだけではない。今までの勉強の仕方が、キチンとしていることだ。父だけではなく、叔父の中村吉右衛門という二人のお手本を持っていることは恵まれた環境、と言える。これにより、歌舞伎だけではなく、現代劇、例えば『アマデウス』などで親子共演し、間近に父の現代劇の手法を勉強することができたからだ。
しかし、それが一方では大きなストレスでもあり、脅威でもあったであろうことは、容易に想像ができる。しかし、今の彼はそれを跳ね返し、独自の道を切り拓こうとしているのだろう。
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