市川 猿之助

10月は新橋演舞場、11月は明治座と、二ヵ月連続で「奮闘公演」に挑む辺りは、伯父・市川猿翁の若き日の姿を彷彿とさせる。 伯父が茨の道を切り拓いて創り上げた「猿之助歌舞伎」をただ踏襲するだけではなく、そこに何を加えれば自分の新しい「猿之助歌舞伎」になるかを模索している姿もよく分かる。

歌舞伎の古典には古典の魅力がある。しかし、それを江戸時代そのままに演じるだけが是とも言えない難しさがある。今、多くの歌舞伎役者が、「時代差」の問題を抱え、今後の歌舞伎のありようを考えて悩んでいるだろう。その中で、自分なりの解答を出しているのが現状だが、猿之助の答えはこの二ヵ月の奮闘公演にある。

一つは、伯父が発掘や復活した作品の上演。これも、そのままではなく、当代の感性を盛り込んだ物に変えての上演だ。新橋演舞場の『独道中五十三驛』(ひとりたびごじゅうさんつぎ)、明治座の『四天王楓江戸粧』(してんのうもみじのえどぐま)などはこれに当たる。

もう一つは、埋もれていた芝居の復活上演。明治座の『夏姿女團七』(なつすがたおんなだんしち)はこちらだ。どちらも「古い革袋に新しい酒を」という諺の実践に等しい。「歌舞伎は難しい物ではない」「楽しい物だ」ということを、今の観客にどう見せれば伝わるかに腐心した結果、たどり着いた方法だろう。

その一方、「家の芸」である『黒塚』などの作品を演じ続けてゆく仕事もある。どれ一つとして楽な仕事ではないが、どんな仕事も満足した瞬間に「退化」が始まる。これは、役者だけではない。

市川猿之助に課せられたもう一つの大きな仕事。39歳の若さで、「澤瀉屋」(おもだかや)、つまり市川猿之助一門のトップとしての責任をも担う立場に立ったことだ。
総領弟子の市川右近、40歳を過ぎて歌舞伎界に入り、「市川中車」の名前を襲名した香川照之らを筆頭に、叔父である市川段四郎、新旧の弟子をまとめ、「澤瀉屋」の色を出してゆくこともまた、大きな使命である。

個性の違う役者が揃っているからこそ、そこに独自の味わいが出る。その一方、リーダーとして一門をまとめるのは大抵な仕事ではないだろう。しかし、それを果たして初めて「市川猿之助」として澤瀉屋の頭領の力も発揮できることになるのだ。

前回の片岡愛之助、市川染五郎、市川海老蔵…。同世代には好敵手がたくさんいる。共演して火花を散らす場面もあれば、競演して互いに芝居を競い合う場面もあろう。それが、良い意味での化学反応を起こして「21世紀の歌舞伎」が生まれれば、それは歌舞伎にとっても観客にとっても幸福なことだ。

これは、三月や半年の仕事ではない。数を重ね、いろいろな演目で共演する中で生まれるものだ。歌舞伎が「待つ演劇」とも言われる所以はここにある。役者がだんだんと成長する姿を、観客が歳月と共に歩んでゆく楽しみも魅力の一つなのだ。

これから猿之助がどういう歩みをたどるのか。偉大な伯父の名を継いだ事実を、舞台で表現することで役者の評価が決まる。それは、「御曹司」と呼ばれる人々に課せられた宿命である。しかし、先代は「革命児」と呼ばれた役者だ。その足跡をどう辿るのか、あるいは自分の道を切り拓くのか。ここ数年の彼の仕事を注視する必要があるだろう。


猿之助、比叡山に千日回峰行者を訪ねる
2016/1/21


四代目 市川猿之助
ペーパーバック – 2015/10/10


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