好評みたいで本人もびっくり?。エッセイ第2弾! 平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その2

前回、一回目を書いて、「適当な疑問を並べていれば、何とかやり過ごせる」ことに早くも気付いた私だが、コーナーのタイトルを観て愕然とした。「歌舞伎への疑問」ではなく「提言」ではないか。だから、激安ショップの老眼鏡はダメなのだ、という展開に持ち込もうと考えたが、賢明な読者は、これが原稿の引き延ばし作戦だと気づくかも知れないので、早速「提言」をしようと思う。

11時に歌舞伎座で芝居を観ようとすると、関東の端っこに住んでいる私は、8:13の電車に乗らないと、余裕を持って10:30には歌舞伎座へ着くことができないことが判明した。これは、私のような夜型の人間にはかなり難しい。2時間以上通勤電車に揉まれて、歌舞伎座へ着く頃にはヘトヘトである。それから4時間もの間、起きている自信はない。

私のような寝ぼすけでも大丈夫なように、昼の2時頃に開演して、夕方ぐらいにやめるわけには行かないのだろうか。「そんな不精な根性では歌舞伎は観られない」と中村氏に嫌味を言われそうだが、江戸時代の文献によれば当時は一日一回公演ではないか。しかも、日没で終わり、とは何ともエコな話だ。しかし、「夜明けと共に始まる」という記述もあった。これは勘弁してほしい。

しかし、一体、いつから「昼の部」と「夜の部」という二部制公演に変わったのだろうか。どうも、明治時代のようだ。それから100年以上の時を経て、今の時代の目まぐるしさはどうだろう。信号が変わる前に横断歩道を横切る、エスカレーターは駆け上がる。ペースが変わらないのは私の原稿を書くスピードぐらいなものだ。そういう時代に、11時にせよ4時半にせよ、ほぼ半日以上かけて芝居を観る、という形態が、このままで良いのだろうか。新幹線なら東京から広島辺り、飛行機ならグアムへ着くまで芝居を観ていることになる。

もちろん、たっぷり堪能したい向きにはこの形態は馴染んでいるのだろう。しかし、夜の8時から始まり、10時に終わる一本立ての芝居があっても悪くはない。芝居が終わり、銀座で軽く一杯、などはお洒落な大人の遊びではないか。私も40歳も若ければ、何のためらいもなくそういう企みをしたに違いない。

今は、夏は夕方から始まる部も設けた三部制の公演もあるようだが、これも第三部の開演が6時とはちと厳しい人も多いだろう。せめてもう一時間遅ければ、何とか間に合う人も多いのではないか。私が学生の頃には、映画では「オールナイト」と称して、夜10時、11時から何本もの映画を一晩中上映していた映画館がいくつもあった。芝居は生身の人間だから、そんな無茶をせよとは言わないが、生活時間帯に合わせるのは観客ではなく歌舞伎ではないか。

夜の部の終演を少し早め、その後を、これからを担うべき若手たちの勉強の場にし、その代わりに料金も映画館並にする、という手もある。その月の夜の部の最後の演目を上演すれば、他の役者との比較もできるし、大道具などの経費も安くてすむ。一週間ごとに配役を変え、いろいろな役柄を体験する、という手もあるし、工夫のしようはあるはずだ。

何よりも素晴らしいのは、二回目の原稿で、やっと「提言」らしきことが言えたことだ。後は、中村氏からの「不真面目だ」という抗議の電話がないことを望むだけだ。

つづく…!?


【連載 第一回】謎のエッセイスト新連載! 平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その1


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