謎のエッセイスト新連載! 平岡裕太郎の『歌舞伎への提言』その1

長い付き合いのある演劇評論家の中村義裕氏から、「歌舞伎への提言」を書いてくれ、と藪から棒な電話があった。私は演劇とはあまり関係のない雑文書きで、芝居は好きだが、彼ほど偏執狂的、いや専門的に観る眼はない。

「原稿料が安いので」とも言えず、気を遣って固辞したら、「その素人目線が良いのだ」と言う。偏執狂のくせに人を素人扱いしやがって、とむかっ腹が立ったので、この際、彼がいる世界をこき下ろすか、と連載を引き受けたことを言い訳しておく。

書く以上は観なくては、と、頼まれていた電球の交換や傘立ての修理などの仕事を慌てて片づけ、月末に歌舞伎座へ出かけたら、なんと、閉まっているではないか。係員に聞いたら、「来月の公演の稽古です」とのこと。どうも、玄関がやけに空いていると思った。仕方がないので、歌舞伎座の周辺をうろつき、ついでに現在稽古をしているという来月の芝居のチラシなどをもらって、行きつけのホテルのロビーで眺めてみた。

久しく来ない間に、歌舞伎の値段がずいぶん高くなったなぁ、というのが最初の感想である。一等席が18,000円。私の原稿料の約20枚分に匹敵する。激安温泉ツアーのチラシに胸を躍らせているのがみじめになるような金額だ。また、時代がだいぶ進んでも、開演時間は相変わらず昼が11時、夜が4時半とある。

私の褐色の脳細胞で推理を巡らせると、これは、「仕事を辞めて暇があり」、「お金をたっぷり持っている」という条件を満たさないと、なかなか歌舞伎座の一等席へは腰かけられない、という答えが浮かんだ。我ながら、見事という他にない。しかし、根がせこい私は、「半分だけ観て帰るから、9,000円」というプランもあるだろうと、完全に激安旅館の日帰り入浴と混同してしまった。そんな料金設定はない。すると、観客の条件がさらに厳しくなる。「約4時間の芝居を観る体力」だ。こうなると、なかなか条件は厳しい。「金と時間と体力のある老人」ということか。「時間だけはある初老」とはだいぶ違う。

物事が混乱した時には、何でも原点に戻るべきだ。二時間ドラマのサスペンスでも、犯人は必ず現場へ帰る。私はロビーにただで長居はできないので、仕方なしに家に帰った。改めてチラシを前に考えてみたが、ふつうに働いている人々には、休日以外には11時も4時半も無理な時間だ。私のように平気で嘘が付ける人間ばかりが働いているわけではないし、歌舞伎のために、上司に「今日も父が倒れたので早退します」と毎月きっちり4時前に早退すれば怪しまれるに違いない。
気を取り直してチラシを眺めれば、18,000円だけではなく、段階を経て4,000円まであることがわかって胸をなで下ろしはしたものの、当然ながら安くなればなるほど舞台からは遠くなるのだろう。私が住んでいる建売住宅が駅から歩いて45分もかかる理由と一緒だと、住み始めて20年でやっと納得できた。

今、歌舞伎は若い人々に人気だ、と聞いた。しかし、先の条件を満たせる若者はそう多くはあるまい。「体力」はクリアできるが、問題は財力と時間だ。「親が金持ち、または莫大な遺産を相続し、働く必要がない若者」と閃いたが、そんな者があちこちにいるわけもないし、いてたまるものか。では、この開演時間は、「誰」をターゲットにしているのだろう。中村氏のせいで、謎が増えただけで、第一回目が終わってしまったではないか。

つづく…!?


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