九代目・松本幸四郎

正直に言えば、昨年の秋に『九代目 松本幸四郎』という役者論を自分で書いているだけに、幸四郎について書くことはいささかのためらいがないではない。しかし、今の歌舞伎界の大ベテランの一人として、必死に歌舞伎を牽引している姿を、改めて書いておきたい。

いわゆる「歌舞伎通」の中に、「幸四郎の芝居は新劇臭い」「歌舞伎らしくない」という声がずいぶん前からある。私は、これは演劇界の中に潜む「悪意」にも近い感情が誤解させたものだと常々思っており、その誤解を「そうではない。幸四郎という役者をキチンと見てほしい」という想いで、一冊の本を書いたとも言える。

「松本幸四郎」を名乗って30年以上経つから、今の若いファンは、彼の市川染五郎時代を知る由もない。それは当然だが、染五郎時代の幸四郎の活躍ぶりを調べると、「天才」の一言に値するほどにその幅は広いのだ。

父・八代目幸四郎のもとで歌舞伎役者としての修行を積みながら、その頃ようやく根付き始めた「東宝ミュージカル」への出演、バンドの結成、テレビでの活躍など、50年前には考えられない程の多才さを見せた。これを「器用貧乏」と見る向きもあるが、染五郎はすべて歌舞伎の勉強のために、いろいろな分野への挑戦をしたのだ。

その結果、歌舞伎役者としては異例とも言える、歌舞伎の『勧進帳』、ミュージカル『ラ・マンチャの男』を共に1100回以上演じている、という偉業を成し遂げた。この積み重ねが一朝一夕にできるものではないことは、誰の眼にも明らかなことだ。

70歳を数年前に過ぎ、多くの先輩や従兄弟の市川團十郎をはじめ、有能な後輩たちをも喪った幸四郎は、まさに「孤高」とも言うべき存在で、明日の歌舞伎のために、荒野を歩いているように見える。ここ十年ばかり、歌舞伎の役柄を自らどんどん広げ、それまではあまり演じることがなかった河竹黙阿弥などの作品も積極的に手がけている。

今年のお正月、歌舞伎座で幸四郎は『一本刀土俵入』の駒形茂兵衛を演じた。この芝居は歌舞伎以外でも人気の作品で、何千回演じられたか調べようもないほどだ。私自身、少なくも10人以上の茂兵衛を観ている。しかし、幸四郎の茂兵衛で、初めて気付いた部分があった。今まで、私はどんな眼をして、この作品を観ていたのだろうか、と感じた。

どんな役でもゆるがせにせず、徹底的に研究し、自分の解釈を探す幸四郎は、いつまでも若々しい現代的な見かけとは裏腹に、「求道者」のような面を持っている。決して学者肌でもなければ、凝り固まった理論派でもない。幸四郎との20年以上に及ぶお付き合いの中で、一体何十時間芝居の話をしたかわからない。しかし、どのジャンルの芝居について話をしていても、必ず歌舞伎へ帰る。つまるところ、どう見られようが、九代目・松本幸四郎は、根っからの「歌舞伎役者」なのだ。私は、このことを、声を大にして言いたかったのだ。


中村義裕 演劇批評
九代目・松本幸四郎


父と娘の往復書簡 (文春文庫)


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