【追悼】『中村 小山三』

先年亡くなった中村勘三郎のことを書こうと思っていたところへ、その弟子である中村小山三の訃報が舞い込んだ。94歳、現役の俳優では最高齢で、今年の1月の歌舞伎座公演でも元気な顔を見せていた。年齢の上から言えば、天寿を全うしたとも言えるが、まだまだ元気で芝居をしそうな様子だったので、驚いたのも事実だ。

このコーナーは、別にスターばかりを取り上げるつもりではいないが、それでも小山三よりも早く書くべき役者はいる。やがては登場してもらうつもりでいたが、それが「追悼文」になってしまったのは何とも残念だ。

生涯女形を貫いた中村小山三は、今の中村勘九郎・七之助兄弟の祖父に当たる十七代目中村勘三郎(1909~1988)に、1924(大正13)年に4歳で入門、その2年後の1926(大正15)年に初舞台を踏んだ。以降、実に89年にわたって「中村屋」の陰の人として、二代の勘三郎を支えて来た役者であり、若い役者にとっては「お手本」であった。89年、現役の役者というのは、世界記録ではなかろうか。

名門の御曹司ではないから、主役を演じることはなかったが、愛嬌のある役に魅力を見せ、茶屋の仲居や女中などに、他の役者にはない時代感を感じさせた役者だった。十八代目勘三郎は言うに及ばず、今の中村勘九郎・七之助兄弟には、孫のような慈愛を注ぐ一方で、芝居のことであればいくら「若旦那」でも容赦はしない、という厳しい一面を持った人でもある。

昭和の終わり頃までは、どこの家にも古い商家の「番頭」のように、一門に目を光らせている古参の弟子がいたものだ。中村小山三は、その最後の一人だったとも言える。師匠の十七代目も、当代の勘三郎も「気分屋」で知られた人だけに、その苦労は語れぬものもあっただろう。しかし、それ以上に「中村屋の芸」に惚れ込み、一生を全うできたことは、小山三にとっては、主役を一本演じるよりも、遥かに幸福なことだったのではないか。

晩年は、軽い役で手を引かれながら出て来ると、満場の拍手が起きた。中村小山三というユニークな愛すべき脇役を、観客もよく知っていたからだ。

小山三のことを想うと一番先に頭に浮かぶのは、勘三郎が亡くなった時の哀しみと憔悴ぶりだ。生まれ落ちた時から知っており、自分の息子のような年齢の勘三郎を持って行かれた時は、自分も一緒に死んでしまいたい、と思っただろう。わがまま放題、とも言われた勘三郎も、小山三に叱られては形無しだった。これは、「師弟愛」という簡単な言葉であらわせるものではない。

しかし、勘九郎・七之助の二人の遺児のために、中村屋三代にわたって仕える決心をし、そう長くない時間の中で、どれだけでもいいから中村屋の芸を伝えようとした。その決意は、穏やかな容貌からは想像もできない大正生まれの「気骨」である。

今、小山三は、大好きな師匠・十七代目と息子のように愛した十八代目と芝居の話をしていることだろう。合掌。


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