中村 勘九郎

歌舞伎界では、後ろ盾になる父親を喪った名門の御曹司は苦労をする例がしばしばある。 中村勘九郎・七之助の兄弟も、まだ働き盛りと言える年齢の父、十八代目中村勘三郎を喪った。多くの歌舞伎ファンが嘆き悲しんだ死であった。

その後、この二人がどういう道をたどるのか、それを注視していたが、立派に自分の道を切り拓こうとしている姿勢に少し安心した。特に、兄の勘九郎は最近、声や動きが亡父の勘三郎に生き写しに見えることが多く、時折ドキリとする。

実のところ、これは勘九郎にとっては「諸刃の剣」とも言える。偉大なる父・勘三郎の面影を色濃く宿していることがプラスである時間はそう長くはないからだ。ファンの心理は勝手なもので、やがては「中村勘九郎」のオリジナリティを求め始める。それまでに、「これが勘九郎だっ!」と言える芝居を自らが持たなくてはならない。もっとも、これは彼一人に限った問題ではない。

歌舞伎の御曹司と言えば、非常に恵まれた環境で役者を演じている感覚を持つ人もいるかもしれないが、実はここが一番怖く、本人には最も辛いところなのだ。何かあればすぐに父親と比べられ、「親父はああではなかった」という古いファンがいる。特に勘九郎の場合は、父が亡くなってまだ日が浅く、多くのファンにその舞台が鮮烈に焼き付いているだけに、苦労は人一倍だろう。

しかし、いくら血のつながった親子とは言え、人格も考え方も体型も違った人物であり、勘九郎は勘三郎の「コピー」でも「クローン」でもない。それを知りつつ、時にはコピーを求めて郷愁に浸り、時には新しい勘九郎の姿を求める勝手なファンの心理を押さえ付けるだけの仕事が、名優を父に持つ役者には課せられているのだ。

もしかすると、御曹司と呼ばれる人々に求められる一番大きな仕事は、「父親を超えること」なのかも知れない。幸か不不幸か、私はまだその例を一つも観たことがない。その代わりに、父親とは違う個性を切り拓いた役者は大勢観て来た。それができれば、父親を超えた、と言えるのかも知れない。

いずれにせよ、まだまだ勘九郎はその発展途上の段階にいる。父の遺した演目を引き継ぎ、自分の物にし、それをアレンジする。あるいは、全く新しい歌舞伎の演目に挑戦する。新作歌舞伎を上演する。

などなど、やらねばならない仕事は山のように目の前にある。それを順調に、エネルギッシュにこなしているのは頼もしいことだ。彼にとっての幸福は、弟の七之助が良き相手役として、すぐそばにいることだ。

歌舞伎の立役(男を演じる役者)にとって、良き女房役者を得ることは、実際の伴侶を得るほどに難しいことだ。しかし、勘九郎は幸いにして、この難所を既にクリアしている。父・勘三郎は、早世する代わりに、良き相手役とライバルを同時に遺してくれたのだ。

勘九郎は、ここ数年が勝負だろう。94歳という演劇界最長老の現役、中村小山三という、先々代から三代にわたって中村屋に仕えている名脇役でもあり、お師匠番がいる。小山三が長年見つめて来た「中村屋の家の芸」をどれだけ盗むことができるか。芝居に貪欲な彼のことだ、期待以上の物を盗んで見せてくれるだろう。


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